ある大物女優との出会いを通して学んだこと③
完璧にコントロールされた暴走
ある大物女優との出会いを通して学んだこと②
ミュージカルの全国公演に向けてのプロモーションで、タレントを連れて地方に行く機会が多くなった。ビジネスマナーも業界のこともよく分からないままに、なんとかミッションを遂行していた。
女優Nさんを連れて地方のテレビ局に行ったときのことだ。今回はマネージャーさんの同行もない。空港からタクシーでテレビ局に向かう。到着すると、入り口で何名かの出迎えがあった。私はタクシー代を払い、Nさんと一緒に入り口に向かう。
先方の担当者が笑顔で挨拶してくる。私も名乗る。そして、微妙な間があったあとに、Nさんも挨拶していた。
無事に収録が終わって、食事をとることに。私とNさんが並んで座り、向かい側に担当者の方がふたり。そのうちのひとりはどうやらかなりのNさんファンだったらしく、話は盛り上がっていた。
「いやー、昔から大ファンなので、すごく緊張しちゃいます!」
私は、ふむふむ、と思いながら適度に会話しつつ食事を楽しんでいた。するとNさんが私を見ながら、担当者の方に向かってこう言う。
「でも、○○くんはまったくわたしに緊張しないのよね・・・」
私は、「いやいや、そんなことないですよぉ」と適当に返しておいたが、実際、あまり緊張していなかった。なんというか、こういうテレビ業界の人たちと同じテーブルで食事していること自体に現実感がなかったのだ。大女優が隣にいても、私はズブの素人なわけだから、もはやあがいてもしょうがない、ありのままでいいっしょ、みたいな感覚だった。
帰りのタクシーで、仕事の達成感を味わっていると、後部座席からただならぬ空気が・・・。
「○○くんさ・・・」
やばい。やっぱりなんかやらかしちゃってたか?
「テレビ局着いたとき、ふつうはあなたがわたしのことを紹介するよね?」
その通りだ。
「○○くんは、いつもテンポがひとつ遅いの。本来はわたしのひとつ先を行ってなきゃいけないのよ。わたしは気づくのが早いけど、その前にいろいろ気づかなきゃ。」
私は、「はい」とだけ答える。それ以降、タクシーは沈黙を乗せたまま空港へと走った。
そういうことか・・・。食事していたときに私が流してしまっていた言葉。あれは、私の緊張感のなさを指摘していたのか。そのとき、初めて少しだけ自分の立場が分かったような気がした。この人に恥をかかせていた自分に気づいた。
それ以降も、私はNさんや売れっ子の女芸人の方などと一緒に地方へ行き、その度にいろいろ学んでいった。マネージャーさんや付き人さんが同行しない以上、地方に行っている間は自分がその役割も兼任しなければいけないのだ。失敗も多かった。
劇団の看板女優と女芸人Wさんのふたりを連れてプロモーションに行ったときも、大きな失敗をした。看板女優はそのミュージカルの主演。そしてWさんはミュージカル初挑戦。しかし、知名度は圧倒的にWさんの方が高い。そのへんに意識を向けることができなかったのだ。取材でも収録でも、どうしてもWさんの方に焦点が当たってしまう。自然と私もその流れに身をまかせてしまい、看板女優をたてることができなかった。さらに、それにまったく気づかず、仕事後に指摘されてしまったのだ。
正直、経験の浅い私にとってはハードルの高いことばかりだった。しかし、失敗から学ぶことは許されていた。情けない話だが、失敗しても最終的には周りの力で前向きにさせてもらっていたように思う。劇団員やタレントの方たちは常にエネルギッシュで、誰も立ち止まることがなかった。だから、自分もそういう姿勢になっていたのだろう。
Nさんももちろんエネルギッシュだった。あるとき、私はNさんと朝から飛行機に乗って九州に行って、時間がカツカツの中で取材と収録を数か所を回り、夜にはもう動けないくらい疲れ切っていた。ようやく最後の収録が終わって一息ついていると、Nさんが「ちょっとディナーに招待していただいたから、今日はここで!」と言っている。まじか。まだそんなエネルギーが残っているとは。マネージャーさんに報告の電話をする。なんか飲みにいくみたいですと。
私は宿泊する予定だったホテルへ入り、軽く食事をとって、ベッドに倒れ込んだ。そしてそのまま寝てしまった。
翌日の朝、ホテルの1階の一室へ向かった。そこで取材の予定だったのだ。前日の疲れを引きずったまま部屋に入ると、すでに準備万端のNさんがスタッフの方と談笑している。この人、昨日ちゃんと寝たんだろうか。
取材を終え、飛行機に乗って、東京に着く。空港でようやくマネージャーさんにバトンタッチ。一応マネージャーさんに聞いてみる。
「今日もこのあとNさんお仕事あるんですか?」
「あぁ、夜ありますよ。その前にプライベートの予定もあるみたいです(笑)」
私はNさんの言葉を思い出していた。「わたしのひとつ先を行ってなきゃ」という言葉。
無理です・・・。
つづく
ある大物女優との出会いを通して学んだこと①
私があるミュージカル劇団の制作という仕事に就いていた頃の話だ。入社する前は、「制作」というからには、なにかクリエイティブな仕事なんだろうなと思っていた。確かに、そういう面はあったが、基本的には、社長やプロデューサーの下で、調整役から雑用まで、あらゆる裏方の業務をやる感じだった。しかもほぼひとりで・・・。
一番最初の仕事は、あるテーマパークで劇団がショーをやっている裏で、そのテーマパーク内にカフェバーのようなものを立ち上げるというものだった。え・・・と思ったが、まぁ仕事なので。店を管理するのは自分で、元劇団員で今は役者をやっているという方が主に接客を手伝ってくれて、あとは六本木から超絶イケメンのハーフのバーテンダーが呼ばれバーカウンターの中に入った。
経営知識もないし、接客経験さえない私だったが、なんとか日々の業務をこなしていた。その大物女優に初めて会ったのはその頃のことだ。
カフェバーにはステージがあって、そのテーマパークに客がドカンと来場する連休などは、芸能人がショーをやるイベントが開催される期間になっていた。その日は、世界的に有名な日本人女性イリュージョニストがショーをやる日だった。
余談だが、そのイリュージョニストは、私のような者がすれ違うことさえ許されないお方だった(笑)
実際にそういうルールがあるのだ。夜にイベントが終わって、カフェバーの店内でひとりで後片付けをしていると、SPのような男が近づいてきてこう言う。
「申し訳ございませんが、○○が控室を出てここを通るので、見えない位置にいてもらっていいですか?背中を向けていただくだけでもいいので」
ビックリしました。もう、それ神じゃないですか。もしくは殿様?いや、姫か。私のような市民はプライベートで目を合わせることを禁じられるんですから。ただ、嫌な気持ちにはまったくならなかった。そのSPの方の雰囲気からか、すごく自然に受け入れることができたのだ。次元が違うと、そういうもんなんだなぁと。逆に、マネージャーも連れず近づいてきて、労いの言葉をくれた大物芸能人もいらっしゃった。そこにもまた実はひとつのストーリがあったんだけど、別の機会にでも書こう。
話を戻すと、そのイベントの日に、社長にこう言われた。
「今日、女優のNさんが来るから気をつけといて」
なにを気をつければいいのか分からなかったけど、とりあえず言われた通り、いい感じの場所に席を確保しておいた。
席は売り切れ。会場には次々に客が押し寄せる。そんな中、私はひとりで入口のレジで、チケットの確認と当日受付のお金のやりとりをしていた。席は自由だったので、「空いている席にどうぞ」といった感じで、なんとか捌いていた。そこに女優Nは現れた。
「お待ちしておりました。席は確保しておきました。あちらに案内の者がいるので・・・」
と言いかけたときに、食い気味に、「案内してもらえるかしら」と言われた。
んー。今ひとりでお客さん捌いてるんだけどなぁ・・・と思いつつ、断ることはできないので、他の客を待たせてNさんを席に案内した。それが初めての会話だった。
そんなにたいしたやりとりでもなかったけど、さすがに女優というのはすごいなと思った。特別なんだなと。しかし、それはほんの序の口にすぎなかった。
そのカフェバーは数ヵ月で閉店になった。経営上の問題というよりは、役割を終えたという感じだった。もともと長く続けようとは思っていなかったんだろう。
ミュージカルの制作という仕事に関しては、そこからが本番だった。ついに劇団と合流したのだ。カフェバーをやっている間も、こんなにいろんな業務をひとりでこなさなきゃいけないのかよと思っていて、社長に人を増やすように交渉もした。まぁ実現はしなかったが。しかし、劇団と合流してからはそんなレベルじゃなかった。
劇団員の中にも、同時に裏方を担当している役者が何人かいて、その方たちもだいぶサポートしてくれていたけど、そこでも制作という部門には、私ともうひとりしかいなかったのだ。そこにはあらゆる仕事があった。
劇団員の管理、舞台監督や音響・照明・演出部スタッフとのやりとり、主催する全国のテレビ局や新聞社とのやりとり、フューチャリングする芸能人やマネージャーとのやりとり、パンフレット・テレビCMの制作などなど。舞台で使うドライアイスの手配から、テレビ局の局長との打ち合わせまで、大小数えきれないほどの仕事があって、完全にカオスだった。芸能人を後部座席に乗せながら、5分ごとに全然違う領域の人から電話が入ってくるような状態だ。ときには素人の私が、プロデューサー不在の際に劇団員の演技にダメ出ししなければいけないようなこともあった。無理だろこれ・・・。パンクし続けていた。それでもなんとかこなした。常に未知の仕事が目の前にあって刺激され続けていたからできたことだと思う。
中でも、芸能人の方々のエネルギッシュさには力をもらっていたと思う。女優Nさんには何度叱られたか分からない。
二度目にNさんと会ったのは、プロモーションで地方のテレビ局に行ったときだった。Nさんはその劇団のミュージカルに出演する芸能人枠のひとりだったので、再会することは予想できていた。東京から、Nさんとマネージャーさんと3人で行ったのだが、私はNさんのオーラにやられすぎてまともに自己紹介すらできなかった。とりあえず仕事を終え、帰りにデパートで3人で食事をとることに。
店に入る前に、マネージャ-さんから耳打ちされる。
「まだちゃんと挨拶してないでしょ?さっきアレ誰って言われたから、一応ちゃんとね(笑)」
確かにそうだった。数ヵ月前に会ってはいたが、そのときの私はカフェバーの受付だったわけだし、しっかり挨拶せねば。焦ったけど、「アレ誰」という言葉に内心笑ってしまった。さっきまで一応一緒に仕事してたのに「アレ誰」ですからね。
「申し遅れました。私・・・」
店に入ってからちゃんと自己紹介すると、Nさんにはこう返された。
「あぁ。なんかずっと一緒にいるから誰なんだろうと思ってたわ」
私は苦笑いしか出さなかったが、ちょっと吹き出しそうにはなっていた。
そしてその直後に、さっそく洗礼を受けた。
店を出て空港に向かうときに、Nさんがマネージャーさんにこう言うのだ。
「あれ?わたしのコートは?」
「あ!」
マネージャーさん顔面蒼白。Nさん激怒。
さっきの店にコートを置き忘れてきたらしい。しかもコートの中にはめちゃくちゃ高いジュエリーが入っていると。
全速力で店に引き返すマネージャーさんの後姿を見送りつつ、あーあ、やっちまったなマネージャーさん・・・と思っていると、Nさんがこう言ってくる。
「あなたもやることあるでしょ!」
冷静ではあるがキレている。
私はすぐに携帯を取り出して、さっきの店の電話番号を調べる。焦ってボタン操作を何度も間違えながら、やっと電話番号を見つける。そして電話する。
結果的にコートは無事で、マネージャーさんもギリギリセーフで飛行機に間に合った。
飛行機の中でマネージャーさんに、あっけらかんとした表情で言われる。
「今回は私も同行しましたけど、次からはたぶん行けないと思うから、Nをよろしくお願いしますね」
えーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー!!
つづく
人類滅亡後に出現する聖典
世界中に蓄積され続けている膨大な量のデータを保存する新技術について。そんな内容の記事がNewsweekに掲載されていた。
我々は、写真や動画、文字、音楽など、あらゆるものをデジタル化すれば、鮮度を保ったまま半永久的に保存できると考えている。
「アナログはデジタルより劣化しやすい」と当たり前のように考えてしまっていたけど、どうやらそうでもないようだ。
ハードドライブ、USBメモリー、フロッピー、CD-ROMなどのデジタル機器。どれも寿命は短い。これはなんとなく分かる。ならばクラウド上に保存ということになるが、サーバーもおよそ5年で交換が必要とのこと。交換を怠ればデータは劣化し、紙に記録していた場合よりはるかに早くアクセス不能になるという。また、そのサーバーが他社に売却されてデータが完全に消去される可能性も充分にある。
個人という単位では、気をつけていれば自分の生涯において必要なデータを保存し続けることは可能なのかもしれない。
ただ、ここでのテーマは、こういった背景の中で、人類はどうやって膨大なデータを未来世代に残すのか、ということだ。
その鍵を握るのが「石英ガラス」。石英ガラスは、地球上にある最も安定した物質のひとつらしい。
日本でも開発が進んでいて、時間というところで考えると、何億年もの保存に耐え得る性能をもつという。
そして、もうひとつの鍵が「DNA」だ。遺伝暗号がぎっしり詰まったDNAの記憶容量は、従来のあらゆる記憶媒体を凌駕する。「DNAの分子コードにデータを記録する技術」と言われても正直ピンとこない。でも、それは実際に開発されていて、親指大の大きさに、700億冊分の原稿を収めることに成功している。
このふたつが結びつくのかどうか分からないけど、「時間」と「容量」の問題が完全に解決されたとき、人類は全データの半永久的な保存に成功するのかもしれない。
なんかロマンを感じますね。
地球規模の核戦争や災害で人類が滅亡。何億年後かに生まれる新人類。その新人類は我々と同じように歴史を重ね、あるとき石英ガラスでできたディスクを発掘する。
このオーパーツをめぐり様々な憶測が飛び交う。「これは神器だ」とか、「超古代文明の遺産だ」とか、「宇宙人のテクノロジーだ」とか。正解は「超古代文明」だ。
新人類はこの石英ガラスのディスクを研究し、ついにディスクを読み取る技術の開発に成功する。開発に成功した研究所は、ディスクを読み取っていく様子を、全世界に向けてテレビジョンで生中継するという。
このディスクは、いったいどんな重要なメッセージから始まるのか、全新人類が、固唾を飲んでテレビジョンの画面を見守る。そして、最初に飛び出してきたデータがこれだ。
「20××年××月××日。ぼくは、きょう、友だちのたかし君といっしょに、しょうがっこうからかえりました。かえりみちで、たかし君は、きゅうにおなかがいたいと言いだして、走っていったので、ぼくは、しんぱいになりました。たかし君をおいかけて、くさむらに入ってみると、たかし君が、かくれていました。うんちしていました。ぼくは、おうちにかえって、お母さんにそのことを話しました。お母さんは、『それはね、Nogusoっていうんだよ』と言いました。たかし君は、Nogusoをしたということです。おもしろかったです。」
全新人類はこの言葉の羅列に圧倒され、地球は静まり返る。しかし、この文章が終わった瞬間、地球は熱狂の渦に飲み込まれる。
全新人類が涙を流しながら、声をそろえて叫ぶ。
「Noguso!Noguso!Noguso!」
後に、これは重要度の低いデータがたまたま最初に出現してしまったバグだということが判明し、新人類はNoguso教への入信を免れた。そしてそのディスクの中には、我々人類の知恵、技術、歴史、カルチャーなど様々な情報が、文字・音声・映像によって記録されていて、新人類はさらなる発展を遂げるのだった(笑)
PEACE‼︎
最近読んだ本①
最近読んだ本の感想を書こうと思う。
量産型コピーキャット VS オリジナル
今まで、個人が書くブログというものを読む習慣がほとんどなかった私だが、自分がブログを開設することによって、他のブログを読んでみようという気になった。
本格的に活字の世界に進出し始めてまだ間もない私がこんなことを言うのは非常に生意気かもしれないけど、素晴らしいなと思える文章もあったし、これは誰でも書けるなと思ってしまう文章もあった。
中には、こりゃ害でしかないなと思う記事も・・・。
それは、「PVを伸ばす方法」とか、「広告のクリック数を増やす」とか、「バズる記事を書くには」とか、そういう類のテーマの記事だ。
これは、私のブログの昨日のアクセス数が2だったから悔しまぎれに申し上げているわけではないということは断言しておこう!
ブロガー(プロブロガー?)にもいろいろなタイプの方がいるんだろうけど、広告収入を第一に考える人たちは、当然PVやクリック数を分析していると思う。
それを否定するつもりは全くない。いいと思います。でも、PVやクリック数を伸ばすための方法論を公表するというのがよく理解できないのだ。公表するということは、必然的に影響を与えるということであって、それが良い影響だとはちょっと思えない。
コンテンツの質の問題について語るならまだしも、多くは効率的に集客するための仕掛けやテクニックに関することだ。
私は以前、リスティング広告を扱う業務に携わっていた。クリックされない広告文は問題外だが、いかにクリック数を稼ぐかということよりも、クリックをいかにコンバージョンにつなげるかというのが最も大事だった。クリック数が多くてもコンバージョン率が下がっては意味がない。
つまり、クリックしたくなる内容の広告文よりも、コンバージョンまでいきそうな人にクリックさせる広告文の方が魅力的と言える。裏を返せば、コンバージョンまでいかなそうな人にはクリックさせない広告文ということだ。
こうしてアクセスをふるいにかけて、購買意欲が高い人や興味の強い人が網にかかるようなテクニックが求められる。それは、もちろん広告文だけではなくて、検索キーワードの設定の段階で始まっていることではあるけど。
これには、私はそれなりのやりがいを感じていた。使用文字の制約がある中で、限られた文字数で、いかに魅力的な広告文を書けるか。しかしながら、ルールが多い分、目的達成のためにある程度マニュアル化されているのも確かだ。
一方、ブログは文字数の制限もないに等しいし、スタイルも自由だ。だったら、広告収入を目的としたブログであっても、その自由さの中でどんどんオリジナリティを出していった方が面白いと思う。つまり、既存の方法論なんか真似しないで、コンテンツとしての価値そのもので勝負した方がよっぽどいいんじゃないかと。
例えば、PVを伸ばすために、必死に最新のニュースを見つけ出して、それをテーマに記事を書く。確かにアクセスは増えるかもしれないし、満足できるかもしれない。でも、それが広告収入目的のただの安易な手段であるならば、とってつけたような内容のものしか書けないはずだ。質が高いとは言えない。
ただし、新しいものがとにかく大好きで、専門的な知見がある人が書く記事は別だ。それはオリジナルだと思うが。
広告収入のためにPVを伸ばす方法論。確かにそれはニーズのあるテーマなのかもしれない。でも、記事を見たブロガーたちがそのやり方を真似すれば、同じようなテーマの、同じようなシルエットの、量産型みたいなブログが生まれていくだけだ。それではつまらなくてしょうがない。
私がブログを書いている目的はまったく別のところにあるので、どうでもいいと言えばどうでもいいけど、ブログの一読者という立場をとったときに、やっぱり面白いコンテンツに出会いたいと思う。
その面白いコンテンツとは、その人にしか言えないことが書いてある記事、つまりオリジナルだ。
量産型コピーキャットの書く記事より、どこぞのおなごの「今日食べたスイーツおいしかったぁ!」の一言の方がオリジナルだ。
HIPHOPやラップの業界においても同じようなことが言える。ONE FOR THE MONEYであってもセルアウトではない。それがオリジナルだと思う。
どんなに不器用でも、その人にしか言えないことを言っているラッパーはかっこいいと思える。さらにそれで稼いでいればより素晴らしい。逆に、スキルがあってもリリックに中身がなければ魅力は半減するし、稼いでいても「ふ~ん」となる。
自分の体験でもいいし、自分の考え方でもいい。間違っていてもいい。コンシャスでもチャラくてもいい。重くても軽くてもいい。とにかく自分の中にあるものをアウトプットしているものこそ価値があると思う。
いろいろな目的があるものの、ブログだってひとつの「表現」でしょ。