飛ッ石~Hisseki

日常から生まれた筆跡を、飛び石のように置いて歩いていきます。目的地は不明。

ある大物女優との出会いを通して学んだこと④

ミュージカルの全国公演期間中、最も強く印象に残っているのが、札幌公演の夜だ。

その日は女優Nさんの誕生日だった。本人にバレないように、すべてはカーテンコールでのサプライズの瞬間に向けて準備された。
 
これといって大きなトラブルもなくミュージカルは開演し、やがて終盤に差し掛かった。キャストはもちろん舞台上で演じているわけで、その間に私が頑張ってサプライズのお膳立てをしなければならない。
 
まずは劇団員のひとりが注文してくれていたケーキを私が受け取った。よしよし、ロウソクもあるし、ケーキにデコレートされたメッセージも大丈夫だな。
ん?ふとロウソクを見てみると、数字の形をしている。「0」と「3」と「7」の三本だ。
私は、突如目の前に現れた数字を見て焦った。おそらく劇団員が注文したんだろうが、このロウソクは一体なんなんだ!?
まさかNさんが37歳なわけがない。そうだとしても「0」はいらないし。数字がついている以上は、これを正確な配置でケーキに刺さなければいけないことは確かだ。頭が混乱して、私はその3つの数字としばらくにらめっこしていた。そういえば昔こういう数学のパターン問題あったなぁ、なんて思いながら、私はようやく「703」という並びにたどり着いた。「703」で「ナオミ」だ。これで間違いない。
ホッと一息ついたが、私にはまだ失敗の許されないミッションが待ち構えていた。それは、Nさんに絶対にバレない限られた数分の間に、舞台の下手の袖にいるキャストに花束を渡し、上手の袖にいるキャストにロウソクに火のついたケーキを渡すというミッションだ。
そうこうしているうちに、カーテンコールが始まった。つまり、ミッション開始だ。
私はまず花束を抱えて下手の付近にスタンバイした。ちょうどいいタイミングでキャストに花束を預け、全速力で舞台裏を走って楽屋に戻る。楽屋でロウソクに火をつけ、今度は火が消えないようにゆっくりと歩かなければならない。ようやく上手の袖にたどり着き、キャストにケーキをパスする。ギリギリセーフだった。
 
カーテンコールの最後に、Nさんに向けて会場の客席から「おめでとう」の言葉が贈られた。会場のお客さんには、あらかじめ今日がNさんの誕生日であることを告知した紙が配られていたのだ。
同時に下手からの花束と上手からの誕生日ケーキ。「703」を見て喜ぶNさん。よかった、サプライズは成功した。そして、晴れやかな雰囲気のなかで、公演も無事に幕を閉じた。
 
このサプライズも楽しかったが、もっと印象に残っているのは、その夜の出来事だ。主催者であるテレビ局のお偉方、プロデューサー、タレントのキャストの方、劇団員、そしてスタッフの一同が会して、あらためてNさんの誕生日を祝う席を設けた。
予約しておいた居酒屋に、30名近いメンバーが次々と集まってくる。全員が揃ったところで、お酒を飲みながら主役の登場を待った。
ところが、肝心のNさんはまったく登場する気配がない。1時間ぐらい経った頃に、酔っ払って完全に出来上がっているNさんがようやく到着した。他の方にも祝ってもらっていたんだろう。でもちゃんと来てくれた。
Nさんはいつも以上にテンションが高くて、その場のメンバーもみんな楽しそうだった。しばらくして、酔っ払ったプロデューサーが私にこう言った。
「○○くん、今日はNさんの誕生日だぞ!なんかやることがあるだろ!」
「え?(笑)」
ちゃんと舞台裏を全速力で走ったし、バレないようにサプライズ頑張りましたよ!とは言わなかったが、私は内心ドキドキしていた。
プロデューサーがみんなに呼びかける。
「みなさん、なんか○○くんがラップしてくれるみたいなんで!」
やっぱりそうきたか・・・。私は音楽活動のことを特に隠してはいなかったのだ。しかしながら、この世界での私の役割はあくまでも裏方。私も酔っ払ってはいたが、さすがに一流の役者たちを前にひとりで「演じる側」に立つというのはかなり勇気のいることだ。私がとりあえず拒否の姿勢を見せていると、プロデューサーがNさんに向かってこう言う。
「Nさん、こいつダメだから言ってやってくださいよ!」
酔っ払ったNさんは、私をまっすぐ見て答える。
「ん?ダメじゃないよねー?わたしはいつも○○くんに愛を伝えてるもんねー?」
「あ・・・は、はい」
もうこれはやるしかないわけだ。腹は決まった。いや、最初から決まっていたんだが。
私は立ち上がり、どうせならと、その場にいる全員に手拍子を求めた。みんなニヤニヤしながら手拍子してくれている。
Nさんを祝うラップを即興で披露した。手拍子のうえに言葉をハメる。正確には覚えていないが、「普段はNさんにめちゃくちゃ厳しいことを言われて、いつもヘコまされてるけど、本当にリスペクトしてます!」みたいな内容のラップをした。
その言葉がNさんに届いているかどうかは分からなかったが、驚いたことに、Nさんはいきなり立ち上がってラップに合わせて踊り始めたのだ(笑)
よく分からない状況で、私は大女優とのセッションを果たした。ラップを終えると拍手喝采。ただでさえ酔っ払って顔面が火照っていた私は、恥ずかしさのせいで沸騰しそうになった。翌日からみんなの私を見る目が変わっていたのが、良い意味なのか、悪い意味なのかは分からなかった。
 
次の日も、札幌の夜は不思議だった。公演を終えてホテルに戻り、仕事を片付けた。ちょっと近くを散歩でもしてみようと思い、街をフラフラしていると、舞台監督が違う意味でフラフラして歩いているではないか。完全に酔っ払っている。しかもなにやら大声で叫んでいた。隣には舞台監督と同じくらいの歳だと思われるおじさまがいる。
「制作と舞台監督はぶつかるのが伝統」という言葉が頭をよぎった。普段、私はこのお方に最も怒られていて、罵声を浴びることもしばしばあった。言わば天敵。しかしながら、酔っ払ってトラブルを起こしているのだとしたら無視するわけにはいかない。これはちょっとヤバそうだなと思って、私はすぐさま駆け寄っていった。
「大丈夫ですか?」
「あ?」と言いながら舞台監督は私を振り返る。
「あぁ、○○くんか!ちょうどいい、二軒目行くぞ!」
トラブルでもなんでもなかった。札幌の夜を旧友と過ごしていて、ただテンションが上がっていただけのようだ。
そこから私は、このおじさまたちふたりに、小さな居酒屋に連れて行かれたのだった。
舞台監督の旧友というそのお方は、北海道の新聞社のお偉いさんだった。舞台監督はそのお方に、私のことを次のように紹介してくれた。
「こいつは若いけど信用できる。足りないけど、とにかく信用できるんだ」
早くも涙が出そうになった。酔っ払っているとはいえ、天敵が私のことをそんなふうに紹介してくれるなんて。
 
ふたりは昔から仲が良いようで、顔を赤らめながら、当時の学生運動の話をしていた。私には分からない時代の話だが、彼らがすごく刺激的な時間を過ごし、ハードボイルドで、そしてアーティスティックな若者だったということだけは分かった。
「キミは週刊誌は読まないのか。新潮とか文春とか。読まないにしても、表紙や見出しだけは見ておきなさい。まだキミには分からないかもしれないが」
その言葉の真意を私はいまだに分かっていないのだが、結果的に私が今ライターをやっているという意味では、未来を見越して投げかけられた言葉なのかもしれない。だとしたら凄すぎるわけだが。
とにかく札幌の夜は、私が一生忘れることのできない最高に素敵な夜になった。
 
 
 
つづく