量産型コピーキャット VS オリジナル
今まで、個人が書くブログというものを読む習慣がほとんどなかった私だが、自分がブログを開設することによって、他のブログを読んでみようという気になった。
本格的に活字の世界に進出し始めてまだ間もない私がこんなことを言うのは非常に生意気かもしれないけど、素晴らしいなと思える文章もあったし、これは誰でも書けるなと思ってしまう文章もあった。
中には、こりゃ害でしかないなと思う記事も・・・。
それは、「PVを伸ばす方法」とか、「広告のクリック数を増やす」とか、「バズる記事を書くには」とか、そういう類のテーマの記事だ。
これは、私のブログの昨日のアクセス数が2だったから悔しまぎれに申し上げているわけではないということは断言しておこう!
ブロガー(プロブロガー?)にもいろいろなタイプの方がいるんだろうけど、広告収入を第一に考える人たちは、当然PVやクリック数を分析していると思う。
それを否定するつもりは全くない。いいと思います。でも、PVやクリック数を伸ばすための方法論を公表するというのがよく理解できないのだ。公表するということは、必然的に影響を与えるということであって、それが良い影響だとはちょっと思えない。
コンテンツの質の問題について語るならまだしも、多くは効率的に集客するための仕掛けやテクニックに関することだ。
私は以前、リスティング広告を扱う業務に携わっていた。クリックされない広告文は問題外だが、いかにクリック数を稼ぐかということよりも、クリックをいかにコンバージョンにつなげるかというのが最も大事だった。クリック数が多くてもコンバージョン率が下がっては意味がない。
つまり、クリックしたくなる内容の広告文よりも、コンバージョンまでいきそうな人にクリックさせる広告文の方が魅力的と言える。裏を返せば、コンバージョンまでいかなそうな人にはクリックさせない広告文ということだ。
こうしてアクセスをふるいにかけて、購買意欲が高い人や興味の強い人が網にかかるようなテクニックが求められる。それは、もちろん広告文だけではなくて、検索キーワードの設定の段階で始まっていることではあるけど。
これには、私はそれなりのやりがいを感じていた。使用文字の制約がある中で、限られた文字数で、いかに魅力的な広告文を書けるか。しかしながら、ルールが多い分、目的達成のためにある程度マニュアル化されているのも確かだ。
一方、ブログは文字数の制限もないに等しいし、スタイルも自由だ。だったら、広告収入を目的としたブログであっても、その自由さの中でどんどんオリジナリティを出していった方が面白いと思う。つまり、既存の方法論なんか真似しないで、コンテンツとしての価値そのもので勝負した方がよっぽどいいんじゃないかと。
例えば、PVを伸ばすために、必死に最新のニュースを見つけ出して、それをテーマに記事を書く。確かにアクセスは増えるかもしれないし、満足できるかもしれない。でも、それが広告収入目的のただの安易な手段であるならば、とってつけたような内容のものしか書けないはずだ。質が高いとは言えない。
ただし、新しいものがとにかく大好きで、専門的な知見がある人が書く記事は別だ。それはオリジナルだと思うが。
広告収入のためにPVを伸ばす方法論。確かにそれはニーズのあるテーマなのかもしれない。でも、記事を見たブロガーたちがそのやり方を真似すれば、同じようなテーマの、同じようなシルエットの、量産型みたいなブログが生まれていくだけだ。それではつまらなくてしょうがない。
私がブログを書いている目的はまったく別のところにあるので、どうでもいいと言えばどうでもいいけど、ブログの一読者という立場をとったときに、やっぱり面白いコンテンツに出会いたいと思う。
その面白いコンテンツとは、その人にしか言えないことが書いてある記事、つまりオリジナルだ。
量産型コピーキャットの書く記事より、どこぞのおなごの「今日食べたスイーツおいしかったぁ!」の一言の方がオリジナルだ。
HIPHOPやラップの業界においても同じようなことが言える。ONE FOR THE MONEYであってもセルアウトではない。それがオリジナルだと思う。
どんなに不器用でも、その人にしか言えないことを言っているラッパーはかっこいいと思える。さらにそれで稼いでいればより素晴らしい。逆に、スキルがあってもリリックに中身がなければ魅力は半減するし、稼いでいても「ふ~ん」となる。
自分の体験でもいいし、自分の考え方でもいい。間違っていてもいい。コンシャスでもチャラくてもいい。重くても軽くてもいい。とにかく自分の中にあるものをアウトプットしているものこそ価値があると思う。
いろいろな目的があるものの、ブログだってひとつの「表現」でしょ。