飛ッ石~Hisseki

日常から生まれた筆跡を、飛び石のように置いて歩いていきます。目的地は不明。

指紋でベッタベタの情報

ここに、100%ピュアなオブジェクトがひとつあるとしよう。

そのオブジェクトはピュアなまま簡単に複製することができる。ただし、傷つきやすく、変色しやすい、つまり、加工しやすいものだ。

公の広場の中央に置かれているため、誰もが自由に持ち出すことが可能だが、他にも様々なオブジェクトが配置されているから気づかれにくい。

 

それでも、広場はいろいろな人が横断する場所だ。ある人が広場を歩いているときに、たまたまこの100%ピュアなオブジェクトを発見する。この存在を世の中にアピールしなければと思い、彼はそのオブジェクトに触れ、ただちにコピーしてポケットに突っ込んだ。

 

家に帰って、ポケットからオブジェクトを取り出す彼。しかし彼は、そのオブジェクトが少し変色してしまっていることには気づかない。

 

彼は公園へ向かい、人々の前で訴える。

「こんなもんを発見したぞ!これがどういうことが分かるかみんな!これはな・・・」

 

この瞬間にそのオブジェクトは完全にピュアさを失った。

 

 

 

 

世の中には情報を伝えるメディアがあふれている。各メディアが違った角度の視点から情報を発信していて、それを見る側は考えを左右される。

 

インターネットの時代ではあるけど、やっぱりテレビや新聞の影響力は強いと思う。でも、その情報を鵜呑みにしていいものか疑問だ。政治家とマスコミのつながりや、報道規制に関する発言。もはやマスコミが発信する情報が客観的で正確なものなのかどうかは怪しい。

 

とにかく、分かりにくくされていると思う。隠されているわけではなくて、カモフラージュされているのだ。これが非常にやっかいだ。こういうことをされると、真実は近いところにあったとしても、結局はまったく手の届かないところに遠ざかってしまう。昔からそうなのかもしれないけど、最近すごくそこが気になっている。

 

憲法改正、安保法案、TPP、移民法、国家戦略特区マイナンバー、労働者派遣法、なんだかいろいろなキーワードがあって、それぞれの動きが加速しているように思えるけど、結局どこに向かっているのかが分からない。大局的に見ればグローバルということなのだろうか。勉強不足なのは確かだけど、なかなかシンプルに理解できない。

 

そうなってくると、これらの動きを理解していそうな人間の発言が気になるわけで、自然にその思想にひっぱられてしまうことにもなりうる。これもこれで危険だと思う。憶測の域を出ない陰謀論や、度を超えたただのオカルトになってしまう可能性だってある。

 

オフィシャルは信用できない。かと言って、ネット上に転がっている情報の真偽も確かめる術はないのだ。

 

となると、やっぱり最後は自分の目で見て考えるしかないわけで、勉強が必要だということだろう。

 

よけいな思想がくっついていない100%ピュアな情報というのは、もちろんどこかには配置されていると思う。だけど、それはアクセス可能な場所に「配置」されているだけで、積極的に「発信」されているものではない。

 

これを自ら探し出して、点と点を結んでいくのは、非常に難しい作業だと思う。さらにそのうえで流されずに客観的に真実を見つめる。

 

そんなことができている人がいるんだろうか(笑)

 

いるとは思う。だけど、その人が「発信」した途端にまたピュアさは失われるんではないだろうか。

ほら、またあの人は○○主義だとか、○○派だとか、そうやってカテゴライズされて、レッテルをピッと貼られるんでしょ?(笑)

 

そうするとよけいなものがくっついてきて、結局は歪んだオブジェクトになってしまうのだ。

 

 

 

PEACE!!