飛ッ石~Hisseki

日常から生まれた筆跡を、飛び石のように置いて歩いていきます。目的地は不明。

アーティストとクリエイターの境界

クリエイターとアーティストの違いは大きい。シンプルに言えば、「クリエイターには依頼主がいて、アーティストにはいない」ということだろう。その限りではないが、基本的にはこれが基準となっているイメージ。

もちろん、アーティストが依頼を受けることもある。しかし、その成果物に対する表現の自由度は、クリエイターとは大きな差があるように思える。
おそらくクライアントは、アーティストに対しては「好きなようにやってください」と言い、クリエイターに対しては「ここをこうしてほしい」と言うのが普通ではないだろうか。

他にも、「クリエイターは問題解決する人で、アーティストは問題提起する人」だという見方もあるようだ。まぁしっくりくる。

つまり、ビジネスという観点からすると、やはり「クリエイター」が重宝がられるだろう。

クラブイベントのフライヤーづくりをきっかけにグラフィックデザイナーへと転身し、その後、独学で様々な表現スキルを身につけ、今では10名を超えるスタッフを抱え事業展開している人物を取材する機会があった。その方はもともとアーティストではないが、10代の頃からストリートカルチャーに触れてきたという。

取材のテーマはまったく別のところにあったが、同じストリートカルチャー出身という意味で、非常に考えさせられることがあった。
ストリートで「アーティスト」として活動する人間が、ビジネスという領域で「クリエイター」として活躍する道はあるのかどうかについて。

HIPHOPというストリートカルチャーを軸に語ると分かりやすいだろう。

まずは「グラフィティライター」。これはクラブイベントのフライヤーのデザインを担当することが多い。必然的にPCのスキルが必要となり、その時点でビジネスとの接点が見出せる。実際に私の友人でも、グラフィティライターからWebデザイナーになった人はいるし、そんな話もよく聞く。

次に「ダンサー」。教育現場でのダンスの授業や、街のダンス教室など、もちろんダンスを仕事にする道はあると思うが、文字通りの肉体派であって、「クリエイター」へと派生するのは難しい気がする。

「DJ」はどうだろうか。これはトラックメイカーとしても活動していくパターンが多いため、楽曲制作のスキルが身につけば道は拓けそうだ。また、昔はアナログレコードを回すのが当たり前だったが、今では「ディスクジョッキー」から「データジョッキー」になっているDJも多いだろう。そういう意味では、これもデジタルとの親和性があり、需要さえあれば「クリエイター」として成立するかもしれない。

そして「ラッパー」。これも非常に難しい。「作詞家」はワンチャンあるかもしれないが。「言葉」と「声」は武器になるとは思うが、それを存分に活かしきるようなクリエイター職はあるんだろうか。

こう考えると、「グラフィティライター」というのは、HIPHOPの4要素のなかでは圧倒的にクリエイターというキャリアへの道が開かれている。逆に言えば、それ以外のアーティストが自分の表現の延長線上にクリエイターとしての道を見出すのは難しいのが現状だと言える。

ただし、道が開かれていたとしても、そこに進むかどうかは別の話だ。
そもそも、自分がアーティストだという意識を持っている人は、とにかくこだわりが強い。絵・ダンス・音・言葉のどの手段を使ったとしても、アーティストとして「内なる想いを表現すること」と、クリエイターとして「誰かが求めるアウトプットをつくる」ことは大きく異なるのだ。

だからこそ、アーティストのポテンシャルがめちゃくちゃ高いと考えている。
ものづくりに対する姿勢やこだわりの強さは、クリエイターにも引けをとらないはずだ。

多くのグラフィティライターはスプレー缶や絵の具の使い方を知っていて、ダンサーはリズムというものを体感し、DJはレコードに針を落とすことから始まり、ラッパーは紙とペンで思考を整理してきた。

つまり、アナログなやり方を心得ているのだ。

なにもかもがデジタルのツールで楽に代用できる時代に、アナログなノウハウやセンスの基盤があるのは、ものづくりの世界で弱いわけがない。

Web上のコンテンツをいかに魅力的に見せるかという競争は激化している。企業のプロモーションでもブランディングにおいても、とにかくインパクトが求められているはずだ。

今まさにビジネスでもトレンドになっている「映像」を制作する際に、例えばタイポグラフィをグラフィライターが担当、モデルの演出をダンサーが担当、音楽をDJが担当、セリフをラッパーが担当したら、単純に面白いものができそうだ。
もちろん、ひっちゃかめっちゃかにならないように調和をもたらすプロデューサーやディレクターの存在は不可欠だが。

先述したとおり、特にHIPHOPのアーティストはアナログを重んじる人が多く、デジタル表現には疎いかもしれない。だが、そんなものはいくらでも技術で補える時代だ。デジタルへのインプットはどんどん簡単になっていくはず。

ビジネス感みたいなものがサポートされれば、クリエイターだけではなく、アーティストもビジネスの領域でもっと活躍できると思う。

ディレクターがクリエイターの気持ちを理解しながら制作を進めるのはそんなに容易ではないと聞くが、その相手がアーティストならもっともっと難しいと思う。アーティスト側の柔軟な姿勢や態度も問われる。
でも、互いにその壁を壊してビジネスの現場でアーティストを起用する人が増えたら、世の中はもっと色鮮やかになっていくんじゃないだろうか。

ここで言うアーティストとは、広く世間に知れ渡っているアーティストだけを指しているわけではない。むしろ、アンダーグラウンドとかセミプロみたいな人たちのことを言っている。
知名度の高いアーティストを起用すればそれだけでメリットはある。そうではなくて、多くのクリエイターの名前が制作物の裏に隠れているのと同じように、無名のアーティストたちが制作に関わるという話だ。そういうチャンスが増えていけば、アートもクリエイティブも活性化されるに違いない。












ある大物女優との出会いを通して学んだこと⑤

各地で様々なトラブルに見舞われつつも、ミュージカルの全国公演は終盤に差し掛かった。残すは長崎での公演のみだ。

 

少し寂しい感じもしたが、そんなことを言っていられる状況でもなかった。これまでの公演は劇場で行われていたが、長崎での公演は劇場ではなく、テーマパークのなかにあるホールで行われるのだ。つまり準備が大変。音響や照明はもちろんのこと、オケピ(オーケストラピット)や客席も手作りでの設置になる。

 

いくつもの問題が発生していた。特に試行錯誤が必要だったのが「光」と「風」への対策だ。通常の劇場ではこの二つの要素は完全にシャットアウトできる構造だから問題にはならない。映画館などもそうだが、エントランスから入場したあともうひとつ扉がある。

しかし長崎公演では、外界と壁一枚(しかも一部はガラス張り)でしか隔てられていないただのホールが会場だったため、「音」はどうにかなったものの「光」と「風」に悩まされたのだ。ガラスの壁からわずかに入り込んでくる「日光」と、入り口から吹き込む「隙間風」。これに対抗するためには、黒い幕や段ボールなど、完全に原始的な方法で挑むしかなかった。

 

さらに、あくまでもテーマパーク内での公演なので、そのテーマパークの規則が適用されるわけだ。外から必要な道具などを運ぶ経路や時間帯も考えなくてはならない。テーマパーク内にそんなに広い道があるわけもなく、大型トラックがどうやってそのホールにたどり着くかを考えるだけでも一苦労だった。なんかもうパズルみたいなもんだ。

 

準備段階でのいろいろな課題を乗り越え、無事に公演がスタート。もちろんトラブルが発生しないわけがない。

 

いつも通り、私にとっては、お客さんが会場に入って本番が開幕してからが少し落ち着ける時間。客席から少し離れたところで立って舞台を見ていると、いつも照明がピカっと光るタイミングで光っていない。あれ?と思ったが、舞台上ではそのままミュージカルが進行している。すぐに通常の進行に戻ったが、流れを完全に把握している者が見れば違和感がある出だしだった。あとから舞台監督に聞いてみたところ、「照明がつかなかった瞬間、本番を一度ストップして俺がステージに出てお客さんに土下座しようと思った」と言っていた。

 

キャストやスタッフ側の舞台裏でのトラブルもいろいろあったみたいだが、私にももちろん降り注ぐ。

 

これまた難しい問題だが、お客さんのなかにはVIPがいる。席にはSとかAとかあるが、最前列のど真ん中10席ほどは、招待席として空けられている。公演ごとにここの席にVIPを割り振るわけだが、それは私の仕事だ。

 

その日は、直前になって女優Nさんの招待客と、舞監の招待客がぶつかった。招待席の半分ほどはあらかじめ埋まっていて、残りの招待席にどちらの招待客を配置するか考えなくてはいけない。招待客は一人で来ているわけではないので、分断するわけにもいかず、やはりどちらかを選択しなければならない。

少し迷いはしたが、結局はNさんの招待客を優先した。舞監には、申し訳ないけれど譲ってくださいと告げた。

 

本番前。客席を見ていると、招待席のところでなにやらもめている。

「あぁ・・・でた・・・」。そう思いながら最前列へ駆け寄る。舞監の招待客が完全に招待席に座っていて、Nさんの招待客は戸惑っていた。

「お客様、申し訳ございませんがこちらの席は・・・」と丁寧に言った。

返答はこうだった。

「は?なに言ってんのこの人。日本語分からない」

 

「は?」はこっちのセリフだが、グッとこらえてこちらは丁寧に申し上げ続ける。しかし、相手はテコでも動かぬ様子。私が少し語気を強めて詰め寄ったところで、Nさんの招待客がこう言う。

「我々は大丈夫だよ。他に空いている席はあるかい?」

 

申し訳ない気持ちと舞監に対する怒りでいっぱいになる。ただ、自分が中心となってつくり上げた舞台を、ゴリ押ししてでも大事な人に最前列のど真ん中で見せてあげたいという舞監の気持ちは痛いほどよく分かる。結局、私はなんだか切なくなってしまった。

 

Nさんの招待客を空いている席に案内して、お詫びにパンフレットを渡した。

その方は、「大変だね。我々のために取り計らってくれて感謝するよ」と言って丁寧に名刺を渡してくれた。名刺を見て驚いたが、その方はある業界の第一人者で、いわゆる「すごい人」だった。やっぱ器が違うなと思いながら、舞監に対して抱いてしまった怒りについても私は反省した。

 

全国公演は千秋楽を迎えた。すべてが終わった。いろいろなことがありすぎて、本当に全身の力が抜けた感覚だった。

振り返ってみると、様々なことを学んだという実感があったが、なかでもやはりNさんと共有した時間というのは、私の中で最も濃厚な時間だったと思う。

 

最後の公演が終わって、Nさんとの最後の瞬間が訪れた。Nさんをホールの外まで送る。

もうしばらく会うこともないし、もう会えないかもしれない。

 

「本当にお世話になりました」。私はそう言って、Nさんの最後の言葉に少しだけ期待した。

もちろんNさんにとって私は取るに足らない存在。だが、なにか言ってくれるはずだ。

 

「じゃあ、おつかれさま」

 

返答はこれだけだった。

 

Nさんはいつも通り背筋をピンと伸ばして、振り返ることもなく颯爽と立ち去る。

その後ろ姿は、私に何かを語りかけるでもなく。

 

 

 

おわり

 

神出鬼没のトリックスター

自分の人生の中に突然現れて、ものすごく重要なヒントだけを残して、そのままどっかに消えてしまって、それ以来、二度と会うこともない、名前も知らない相手。

 

今までに何度かそういう相手に遭遇したことがある。あらゆる時間の流れが、コンタクトの瞬間のその一点を目指していたかのようにも感じるし、いやいや、ただの衝突事故のようなものにも思える。

 

なぜ私に話しかけたんだろう。そしてなぜ、私が欲しがっている答えのヒントを、その人は持っていたんだろう。

 

10代の頃の話。六本木に「CORE」というクラブがあった。たぶん移転前だったと思う。ライブを終えた私は、フロアを抜けてラウンジのような場所で一息ついていた。

そこに現れた一人の男性。おそらく20代だと思うが、当時の私にとってはおっさんに見えた。ただし、ただのおっさんではなく、なにか「臭う」人だったことは確かだ。

 

彼は、おもむろに私に話しかけてきた。ライブの感想でも言ってくれるのかなと思っていたわけだが、いろいろすっ飛ばして結論から言ってきたのだ。

 

「やっぱラップはダブルミーニングだよね・・・」

 

私は一瞬戸惑ったが、「は?」と返すわけにもいかず、うなずいて話の続きを促した。

 

彼はこう続ける。

「ラップ聴いててさ、リリックを追っていくじゃん?ふむふむ、なるほど、と思ってたらさ、聴いてるうちにいつの間にか全く別の意味になってることがあるんだよね。あぁ、さっきのあのラインは伏線だったのか、みたいな。そういう仕掛けがあるラップが俺はヤバいと思う」

 

その頃の私は、有頂天とまではいかなくともそれなりに自信を持っていた。若さゆえ、調子に乗っていたとも言える。名前も名乗らない正体不明の男に、いきなり重要なことを言われ、「もっと深く話を聞きたい!」と内心では思っていたのに、プライドのようなものが邪魔したんだろう。

 

「あぁ、そうですね。まぁ、韻とかフローとかも大事ですけどね・・・」

 

私は完全にサラっと流してしまったのだ。相手も特にそれ以上言いたいこともなかったようで、話はそれ以上進展しなかった。

よく考えると、彼は私のライブを見ていた可能性が高いわけで、そのテーマを投げかける相手として、ライブ後の私を「選択」したに違いない。それがどんなに価値のあることだったか。当時の私には分からなかったのかもしれない。

 

とにかく、いまだに誰だったのかも分からないその男の言葉は、私の胸にかなり深く突き刺さり、その後の音楽性に大きく影響した。

 

数年前にも同じようなことがあった。友人に連れられて深夜のクラブに遊びに行っていたときのことだ。音楽とアルコールの力でフロアはすごく盛り上がっていて、珍しく踊っている人がたくさんいた。

 

私はバーカウンターでお酒を注文してひとりで飲んでいた。たまたま隣に立っていた男。歳は私より少し上ぐらいかなという感じで、かなり酔っぱらっていた。

 

「いやぁ、ヒップホップって素晴らしいよね!」

 

それが最初の言葉だった。

まだ酔っていない私は、「そうですねぇ」としか言えない。

 

彼はその後、一方的に話を展開してきた。

「ヒップホップってやっぱ特殊だよね。いろんな音楽があるけど、日常のなんでもないたった一日とかを切り取ってさ、曲としてバッチリ成立する音楽ってやっぱヒップホップだと思うのよ。今日はこうだったとか、こないだこんなことがあったみたいな、それを一曲の作品として表現できるのってすごくない?しかもさ・・・」

 

話は長かったが、彼のこの前半の言葉は刺さった。もちろんヒップホップの魅力のこの側面は、私自身もよく理解していることだ。しかしながら、唐突にあらためて語られるとすごく新鮮に感じられた。

 

彼とはしばらく楽しくしゃべっていたが、お互いに名を名乗ることはなかった。この場合は、彼は私が何者かが分かっていないはずだし、たまたま隣に居合わせただけの「衝突」だったのだと思う。

 

彼の言葉(というか、突然話かけてきたことも含め「言動」というべきか)もまた、私の音楽観にインパクトを与えたのだ。

 

他にこんなケースもあった。これもだいぶ昔の話。

 

ちょっと歳の離れた先輩と、ひとつ下の友人(このとき家出中。金髪。その後、彼は音楽活動の「相方」とも言える存在になる)と3人で、混雑している電車に乗り込んだ。まず、すごく真剣な顔をした先輩が、乗客の波に飲み込まれて、すごく真剣にくるくる回りながら遠くに流された。私と友人は笑いをこらえながら、なんとか吊り革をゲット。

 

我々は先輩の存在を忘れて、いつも通りのアップテンポな会話を続けていた。すると、目の前の座席に座っていた酔っ払いのおじさんが、ちょっと怒ったような口調で話しかけてきた。

 

「お前ら、組んでんのか?」

 

「え?w」

 

「テレビとか出てんのか?」

 

この瞬間に、我々は暗黙の了解で、芸人になりすますという決定をくだした。

 

「え・・・ま、まぁ、たまに出たりはしてますけどねw」

 

「コンビか?」

 

「いやw トリオだよw 今ひとり向こうに流されちゃってるから!w」

 

「やっぱりな。お前ら見たことあるぞ。こんなとこでくすぶってんのか?」

 

「いや、まぁ、そのうち売れるからねw」

 

「名刺出せ!」

 

「は?w」

 

「名刺だよ名刺!お前ら○○っていう番組(若手芸人が集合して漫才を競う当時の某人気番組)知ってるか?」

 

「あぁw 知ってる知ってるw 出たことあるしw」

 

「うそつくなバカヤロウ!俺はな、あの番組のプロデューサーだコノヤロウ!」

 

「んじゃ名刺見して!w」

 

「あ?ちょっと待て・・・ああ、今持ってねぇなぁ。お前ら番組に出すから名刺出せ!」

 

それからずっと、我々が電車を降りるまで、その酔っ払いのおじさんはずっと自分の名刺を探しながら、我々に「名刺出せ」とか「名前教えろ」とか言いつづけていた。

 

駅のホームで合流した先輩は、叫んでいるおじさんと我々2人を見て、不思議そうな顔をしていた。

 

あれが本物のプロデューサーだったのか、ただの酔っ払いだったのか、結局は分からなかったわけだが、我々はその日以来、お笑い芸人という道を、完全には捨てないでいる。

 

このおじさんがものすごく重要なヒントを残したのかというと、そうでもない気がするが、自分の人生の中に突然現れたトリックスターのような存在であったことは確かだ。

 

 

PEACE!!

 

ある大物女優との出会いを通して学んだこと④

ミュージカルの全国公演期間中、最も強く印象に残っているのが、札幌公演の夜だ。

その日は女優Nさんの誕生日だった。本人にバレないように、すべてはカーテンコールでのサプライズの瞬間に向けて準備された。
 
これといって大きなトラブルもなくミュージカルは開演し、やがて終盤に差し掛かった。キャストはもちろん舞台上で演じているわけで、その間に私が頑張ってサプライズのお膳立てをしなければならない。
 
まずは劇団員のひとりが注文してくれていたケーキを私が受け取った。よしよし、ロウソクもあるし、ケーキにデコレートされたメッセージも大丈夫だな。
ん?ふとロウソクを見てみると、数字の形をしている。「0」と「3」と「7」の三本だ。
私は、突如目の前に現れた数字を見て焦った。おそらく劇団員が注文したんだろうが、このロウソクは一体なんなんだ!?
まさかNさんが37歳なわけがない。そうだとしても「0」はいらないし。数字がついている以上は、これを正確な配置でケーキに刺さなければいけないことは確かだ。頭が混乱して、私はその3つの数字としばらくにらめっこしていた。そういえば昔こういう数学のパターン問題あったなぁ、なんて思いながら、私はようやく「703」という並びにたどり着いた。「703」で「ナオミ」だ。これで間違いない。
ホッと一息ついたが、私にはまだ失敗の許されないミッションが待ち構えていた。それは、Nさんに絶対にバレない限られた数分の間に、舞台の下手の袖にいるキャストに花束を渡し、上手の袖にいるキャストにロウソクに火のついたケーキを渡すというミッションだ。
そうこうしているうちに、カーテンコールが始まった。つまり、ミッション開始だ。
私はまず花束を抱えて下手の付近にスタンバイした。ちょうどいいタイミングでキャストに花束を預け、全速力で舞台裏を走って楽屋に戻る。楽屋でロウソクに火をつけ、今度は火が消えないようにゆっくりと歩かなければならない。ようやく上手の袖にたどり着き、キャストにケーキをパスする。ギリギリセーフだった。
 
カーテンコールの最後に、Nさんに向けて会場の客席から「おめでとう」の言葉が贈られた。会場のお客さんには、あらかじめ今日がNさんの誕生日であることを告知した紙が配られていたのだ。
同時に下手からの花束と上手からの誕生日ケーキ。「703」を見て喜ぶNさん。よかった、サプライズは成功した。そして、晴れやかな雰囲気のなかで、公演も無事に幕を閉じた。
 
このサプライズも楽しかったが、もっと印象に残っているのは、その夜の出来事だ。主催者であるテレビ局のお偉方、プロデューサー、タレントのキャストの方、劇団員、そしてスタッフの一同が会して、あらためてNさんの誕生日を祝う席を設けた。
予約しておいた居酒屋に、30名近いメンバーが次々と集まってくる。全員が揃ったところで、お酒を飲みながら主役の登場を待った。
ところが、肝心のNさんはまったく登場する気配がない。1時間ぐらい経った頃に、酔っ払って完全に出来上がっているNさんがようやく到着した。他の方にも祝ってもらっていたんだろう。でもちゃんと来てくれた。
Nさんはいつも以上にテンションが高くて、その場のメンバーもみんな楽しそうだった。しばらくして、酔っ払ったプロデューサーが私にこう言った。
「○○くん、今日はNさんの誕生日だぞ!なんかやることがあるだろ!」
「え?(笑)」
ちゃんと舞台裏を全速力で走ったし、バレないようにサプライズ頑張りましたよ!とは言わなかったが、私は内心ドキドキしていた。
プロデューサーがみんなに呼びかける。
「みなさん、なんか○○くんがラップしてくれるみたいなんで!」
やっぱりそうきたか・・・。私は音楽活動のことを特に隠してはいなかったのだ。しかしながら、この世界での私の役割はあくまでも裏方。私も酔っ払ってはいたが、さすがに一流の役者たちを前にひとりで「演じる側」に立つというのはかなり勇気のいることだ。私がとりあえず拒否の姿勢を見せていると、プロデューサーがNさんに向かってこう言う。
「Nさん、こいつダメだから言ってやってくださいよ!」
酔っ払ったNさんは、私をまっすぐ見て答える。
「ん?ダメじゃないよねー?わたしはいつも○○くんに愛を伝えてるもんねー?」
「あ・・・は、はい」
もうこれはやるしかないわけだ。腹は決まった。いや、最初から決まっていたんだが。
私は立ち上がり、どうせならと、その場にいる全員に手拍子を求めた。みんなニヤニヤしながら手拍子してくれている。
Nさんを祝うラップを即興で披露した。手拍子のうえに言葉をハメる。正確には覚えていないが、「普段はNさんにめちゃくちゃ厳しいことを言われて、いつもヘコまされてるけど、本当にリスペクトしてます!」みたいな内容のラップをした。
その言葉がNさんに届いているかどうかは分からなかったが、驚いたことに、Nさんはいきなり立ち上がってラップに合わせて踊り始めたのだ(笑)
よく分からない状況で、私は大女優とのセッションを果たした。ラップを終えると拍手喝采。ただでさえ酔っ払って顔面が火照っていた私は、恥ずかしさのせいで沸騰しそうになった。翌日からみんなの私を見る目が変わっていたのが、良い意味なのか、悪い意味なのかは分からなかった。
 
次の日も、札幌の夜は不思議だった。公演を終えてホテルに戻り、仕事を片付けた。ちょっと近くを散歩でもしてみようと思い、街をフラフラしていると、舞台監督が違う意味でフラフラして歩いているではないか。完全に酔っ払っている。しかもなにやら大声で叫んでいた。隣には舞台監督と同じくらいの歳だと思われるおじさまがいる。
「制作と舞台監督はぶつかるのが伝統」という言葉が頭をよぎった。普段、私はこのお方に最も怒られていて、罵声を浴びることもしばしばあった。言わば天敵。しかしながら、酔っ払ってトラブルを起こしているのだとしたら無視するわけにはいかない。これはちょっとヤバそうだなと思って、私はすぐさま駆け寄っていった。
「大丈夫ですか?」
「あ?」と言いながら舞台監督は私を振り返る。
「あぁ、○○くんか!ちょうどいい、二軒目行くぞ!」
トラブルでもなんでもなかった。札幌の夜を旧友と過ごしていて、ただテンションが上がっていただけのようだ。
そこから私は、このおじさまたちふたりに、小さな居酒屋に連れて行かれたのだった。
舞台監督の旧友というそのお方は、北海道の新聞社のお偉いさんだった。舞台監督はそのお方に、私のことを次のように紹介してくれた。
「こいつは若いけど信用できる。足りないけど、とにかく信用できるんだ」
早くも涙が出そうになった。酔っ払っているとはいえ、天敵が私のことをそんなふうに紹介してくれるなんて。
 
ふたりは昔から仲が良いようで、顔を赤らめながら、当時の学生運動の話をしていた。私には分からない時代の話だが、彼らがすごく刺激的な時間を過ごし、ハードボイルドで、そしてアーティスティックな若者だったということだけは分かった。
「キミは週刊誌は読まないのか。新潮とか文春とか。読まないにしても、表紙や見出しだけは見ておきなさい。まだキミには分からないかもしれないが」
その言葉の真意を私はいまだに分かっていないのだが、結果的に私が今ライターをやっているという意味では、未来を見越して投げかけられた言葉なのかもしれない。だとしたら凄すぎるわけだが。
とにかく札幌の夜は、私が一生忘れることのできない最高に素敵な夜になった。
 
 
 
つづく
 

絶妙なバランス感覚で2016

あけましておめでとうございます。

こんなに更新していないにも関わらず、チェックしてくれている方もいるので、今年は頑張ってもうちょい更新頻度を上げていこうと思う。

 

昨年は、ライターの仕事を通してIT業界のトレンドを知る機会が多くて、テクノロジーの進化をすごく感じた。あぁ、もう来るとこまで来てるんだなと。ビッグデータクラウド・IoT・人工知能みたいなキーワードは、もはや当たり前の言葉として扱われている。

 

昨年12月に某イベントで行われたスタートアップのプレゼンバトルを、生中継で見た。優勝したのは、「AgriBus-NAVI」というサービス。これはトラクターによる農薬散布をアシストするもの。

農薬の散布は職人技とも言える非常に難しい作業のようだ。真っ直ぐ等間隔に走らせなければならない。しかも、ちょっとの隙間が空いてしまうと、その隙間から害虫が繁殖するし、逆に重なってしまうと作物がダメになるのだ。この作業をGPSでアシストするというのは、10年前から行われてきたことらしい。ところがそのシステムの導入には非常に高いコストがかかる。それを、専用GPSAndroidタブレットを活用して、月額課金で安価に実現しようとしているのが「AgriBus-NAVI」だ。将来的には、トラクターの自動運転にもつながっていく話だし、もちろんグローバル展開もできそうな話。

 

注目度の高い「農業」という分野と、より進化した「GPS」のシステム。確かに画期的なサービスだろう。だけど、これを見ていて、ふと思った。

 

「これはまさに人間の仕事が奪われている瞬間ではないのか?」

 

単純作業ならまだしも、「職人技」がテクノロジーに取って代わられているわけだ。こういう流れは誰にも止められないし、止める気もないが、ちょっと考えさせられた。農薬散布の腕でブイブイ言わせてた、どこかの農薬散布プロフェッショナルなおっちゃんが、寂しげな目をして自動運転のトラクターを見つめることになるんではないだろうか。

さらに言えば、きっとその職人の技術を学ぼうとする人間も現れないことになる。なんかこれは悲しいことだなと思った。

 

ところがどっこい、ここがまたベンチャー業界の面白いところで、2位になったのは、逆に「職人技」というテーマを中心に据えたサービスだった。2位になったのは縫製マッチングプラットフォーム「nutte」。ファッションアイテム1点から発注が可能で、依頼主と全国の縫製職人とのマッチングをオンラインで実現するものだ。これはまさに「職人」の存在を生かすサービスだと言える。

 

このある意味で真逆の性質を持つ2つのサービスが1位2位になったというのは、非常に興味深い結果だった。他にもすごいサービスがたくさんあったし、プレゼンでのべしゃりも会社によって全然ノリが違って面白かった。

 

2016年は、さらにテクノロジーが加速していくはずだ。VR(バーチャルリアリティ)とか、ロボットとか、本当にいろんなキーワードがあって、それぞれがクロスオーバーしながら進化している。

ぜひとも、「人間の技」と「テクノロジー」というもののバランスを保ちながら発展していってほしいと願う!

 

ということで、今年もよろしくお願いします。

 

 

PEACE‼︎

あてもなく書く理由

三日坊主にはなっていないものの、それに近いと言えるくらい更新されていないブログ。日付を見ると、数列にしたら何か名称がありそうなくらい、きれいに加速度的に更新の間が開いていってるなと。

 

その何か名称がありそうな数列の成立に加担するわけにはいかない。

 

だから、私はあてもなく書いているのだ。

 

これまで、「書くこと」とは切り離せない環境に私はいた。

15歳の頃から、音楽活動を通して「作詞」を続けてきた。本当は「作詞」なんて言葉は使いたくないのだが、活動の内容を少しだけベールに包みつつ、一般的な言い方で伝えたいという理由で、あえて「作詞」という言葉を使う。

「作詞家」なんていう言葉もあるし、「作詞」というと何か特別な能力であるかのようだが、私にとっては特別でもなんでもなく、当たり前のことだった。

自分の体験したこと、自分の感じたこと、自分の考えたことを、詞としてカタチにするという行為を、少年時代からただ続けてきただけのことだ。

 

私の若い頃の詞は、まさに暗号のようなものだった。自分で見返してみても、読解が困難なものばかりだ。恥ずかしすぎるが、その一例を挙げてみよう。

 

千夜一夜のトンネル通り抜ける深夜EXPRESS 煙吐く銀河LS 理屈の原動力 健闘を祈る 戦場のブラックリスト 念頭に置く結論 ケツを見て前方よく見ざる言わざるで着飾るだけの文明社会のWindows

 

こんなわけの分からない言葉の羅列を、よく人様の前で披露できていたなと思う。

確かに、その音楽の特性上、このようなカタチになるのは仕方ない部分もあるのだが、これはちょっとひどい。あくまでも極端な例だということは分かってもらいたいところだ。

 

まぁでも、当時の私にとっては、そんなパズルみたいな言葉の羅列がむしろ魅力的だったわけで、さらに言えば聴いてくれる人もいたわけで、それがアートとして価値が低かったと断言はできない。

だが、自分の経験や周りのアーティストの影響から、やはり「伝える」ということの重要性を知り、私の「作詞」は、より具体的な内容へと進化していった。

 

進化と同時進行して、私の書いた言葉は、言葉以外の価値に変換されるようになっていった。

それはストレートに「お金」になることもあり、誰かの人生に影響を与えるきっかけになることもあった。もちろん、ときにはネガティヴな勘ぐりを生むこともあったが、とにかくそれは「伝える」ということを達成している証明でもあったのだ。

 

ただし、「伝える」ということを第一目標にすると、今度はアート性が失われる可能性がある。アート性とはつまり、自己中心的な発想や、自分のなかだけに渦巻く思想や、ひとりよがりな表現方法のことだ。その音楽においては特にそれが良しとされるところがある。「オリジナル」という言葉が最も当てはまるだろう。

オリジナリティがありつつ、伝わるもの。そのちょうどいいバランスで「作詞」をすることこそ、私の目標になっていったのだ。

 

ライターとしての修行を続けている。この仕事を始めるとき、「自分の書く文章がお金になる」というワクワク感と同時に、自分だけが持つセンスのようなものを失いたくないという気持ちが少しだけあった。

 

ライターという仕事では、とにかく客観的な事実を分かりやすく伝えることが求められる。書いた文章に「お金」という対価が支払われる以上、ある一定の水準を常に求められるのは当然のことだ。もちろん「オリジナル」なんてものは求められない。

 

一方、このブログは誰かに何かを「求められる」ことはなく、自由度は高い。もちろん、一応は読者を想定しているので、やはり分かりやすくあるべきではあるが。

私はこのブログを開設するにあたって、まずは「明確な目的もなくはじめた」というようなことを書いたはずだ。

だが、今はなんとなく分かってきた。ものを書くうえで失いたくない何かを維持すること。それがきっと目的なんだろうと思う。

 

だから、私はあてもなく書いているのだ。

 

 

 

PEACE‼︎

女優Nさんについて

「この本、旦那にすすめられたの。読み終わったからあげる」

ミュージカルの公演期間中、空港で女優Nさんからいただいた本の主人公の名前は「ナオミ」でした。

悲報が耳に入ったときは、大変ショックでした。このブログでたまたま「女優Nさん」の思い出を書いていたこと。なにかの力を感じます。

彼女の人生の中で私の存在は限りなく小さいはずですが、私にとって彼女は非常に貴重な経験を与えてくれた相手です。

思い返すと、彼女のいろいろな言葉や表情が鮮明に蘇ってきます。本当に尊敬できる人。

高級なワインしか飲まないのかなと思っていたけど、普通のお店で注文したワインを飲んで笑顔で「おいしい」と言う。

そんなリアルな姿を目の前で見ることができたこと。忘れることはありません。

私のような小者に対して無邪気に接していただいたことを感謝します。

時間が空いてしまいましたが、引き続き、女優Nさんとの思い出を書こうと思います。意味があると感じています。

川島なお美さんのご冥福をお祈りします。